足跡
この週末は今シーズン最強の寒波が到来し、京都も雪景色となりました。
大雪のため、交通網を始めとする様々な影響がありましたが、皆様の所は大丈夫だったでしょうか。

朝起きて雪が積もっていたら、平日は通勤を考えて結構焦ってしまうのですが、今回の積雪は週末且つ絶対に雪になるとわかっていたので、準備万端、のんびりと自宅時間を過ごすことができました。
いつも感じるのですが、雪が積もった時って「音」が消えたような感覚になりませんか?
雪が積もると、家の前の人や車の往来が無くなるので、そういう音や響きが聞こえてこない、というのもあるかもしれませんが… 雪が積もった一面の白い世界は、恐ろしいほどの静寂と、ピンと張り詰めたような空気を感じます。
なぜ雪が積もると「音」が無くなったような感覚になるのでしょうか?
雪は「音」を消してしまうのでしょうか?
そう思って少し調べてみました。
結論から言えば、やはり雪は音を吸収するそうです。
音は振動によって作られます。
物が震えることで空気が振動し、その振動が鼓膜に届くことによって、私たちはそれを「音」として認識しています。
しかし、雪が降ったり積もったりしていると、雪が空気の振動を吸収してしまうので、その分遠くまで音が届かなくなります。
これが、雪の日は静かだと感じる理由だそうです。
では、なぜ雪は空気の振動を吸収してしまうのでしょうか。
それは、雪の結晶の形に秘密があるそうです。
雪の結晶は六角形や八角形、その他さまざまな複雑な形をしています。
あの結晶の隙間の部分に音の振動が閉じ込められてしまい、遠くまで音が届かなくなるそうです。雪は条件によっては80%以上の音を吸収してしまうのだとか。
因みに防音対策で壁や天井に使われる素材には小さな穴があいていますが、これも雪の結晶の働きと同じ仕組みだそうで、小さい穴に振動を吸収させることによって、音が遠くまで響くのを防いでいるそうです。

「しんしんと雪が降る…」と言いますが、「しんしん」って漢字で書くと「深深」ですね。この「深深」という言葉、雪が降り積もって深く埋もれるほど積もる、という意味ではなく、音も無く雪が降り積もっている様子を表しているそうです。
さて、週があけて今朝のこと。
庭にはまだ雪がそのまま溶けずに残っておりました。
が、ふと見ると、何やら雪の上に点々と…
何の穴でしょう?
誰も足を踏み入れていない新雪の上に、2ヶ所点々と穴があいているのです。
拡大してみると…

こんな感じで…
何かの足跡のように見えなくもないのですが、一体何なのでしょう?
近所に住む猫ちゃん🐱かもしれませんね😆
ってか、猫ちゃんであってほしいです、いろんな意味で😂
本日数年ぶりに京都へ参りました。
行く前は北陸の雪景色そして生憎の雨、でしたが京都は快晴。雪もなし。今は帰って余韻に浸りあれこれ検索していたところこちらへ辿り着きました。せっかくなのでコメント、お目汚し失礼いたします。
雪、そして深深と聞くと「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という正岡子規の名句を思い出しました。
これは解釈が分かれ、病床にある子規が弟子に何回も「雪はどれだけ降ったのだ?」と解釈するのと一歩一歩前に進み、その足が何度も雪の深さに溺れるそれを「尋ねけり」という説とがあります。
こちらのお写真にある猫ちゃん(?)の足跡は後者の説が当てはまることでしょう。面白いですね。
雪は音を吸います。だから静かです。
しかし「雪とけて村一ぱいの子どもかな」という一茶の句があります。吸い込んだ音が溢れるようで生命力に溢れます。
今日訪れた京都にはもう佐保姫が舞い降りているなと思いましたよ。
長文乱筆失礼いたしました。
新川鮎理様
素敵なコメントをありがとうございました。お返事が大変遅くなり申し訳ありません。
今年の冬は雪が多いように感じています。今朝も雪が降りました。ここ数日、そこかしこに春の気配を感じておりましたので、少しビックリしました。
今日の雪が終雪であればいいなぁ、と思っています。
そうそう、足跡の主はやはり近所の猫でした。別日に近所の猫ちゃんが庭をウロウロしているのを家人が見たので、多分間違いないと思います。
京都市内なのですが住居の裏が里山で、たま~に鹿や猪などの姿を見かけることがあり、もしかして…と心配になったのですが、猫とわかり一安心しました。
雪には「静寂」や「儚さ」というイメージがありますが、春の訪れと共に雪が溶け新たな命が芽生えることから「再生」や「新たな始まり」の象徴ともされていますね。
北陸にも佐保姫が舞い降り、穏やかな春が迎えられますことを願っております。