山はどう思っているのだろう
大雨の影響で崖崩れが起き、一時通行止めになっていた国道が復旧したと聞いた。
2週間ほど前に通った時は、まだ片側通行の交通規制がかけられており、工事車両がたくさん止まっていた。
それが、この1月足らずの間に、崩れた斜面はきれいに補強されていた。
「もう復旧したんだ。」
その早さに驚いた。
道路が通れるようになることは、多くの人にとって安心につながる。
生活も物流も仕事も、道路があってこそ成り立つものがたくさんある。
だから、早い復旧は本当にありがたいことだと思う。
けれど、その景色を見ながら、私は別のことを考えていた。
山は、この復旧をどう見ているのだろう。

道路は、人が暮らすために山へ造ったものだ。
もともとそこにあった地形を削り、谷を渡り、斜面を切り開いて道をつくる。
私たちにとっては必要な道でも、山にとってはどうなのだろう。
崖崩れは、人間には災害だ。
しかし、山にとっては、長い時間の流れの中で起こる一つの出来事なのかもしれない。
崩れた土はやがて草木を育み、水は新しい流れを探し、地形は少しずつ姿を変えていく。
そんな営みの途中で、私たちは「ここは崩れてはいけない場所」と決め、元の姿へ戻そうとする。
それは、人間にとっての復旧である。
では、山にとってはどうなのだろう。
実は、今回の崩落箇所は少し前に私たちが施工した現場の近くだった。それで余計に気になっていた。
山が崩れる理由は一つではなく、今回も豪雨をはじめ、さまざまな条件が重なった結果だ。
それでも、「私たちが山に手を入れたことは、この山にとってどんな意味を持っていたのだろう」と考えずにはいられなかった。
今、日本の人工林は伐期を迎え、山には新しい林道が造られている。
大型の林業機械を入れ、作業を効率化し、安全に木を搬出するためだ。
それは今の林業にとって必要なことでもある。
林道がなければ管理できない森林もあるし、人手不足の中では効率化も避けては通れない。
その現実はよくわかっている。
だから、林道を造ることが間違っていると言いたいわけではない。
それでも、時々立ち止まってしまう。
その道は、本当に山にとっても必要だったのだろうか、と。
一本の林道は、人間には一本の道でも、山にとっては、水の流れを変え、土の動きを変え、生き物の暮らしを少しずつ変えていく存在なのかもしれない。
同じことは、山を切り開いて設置されるソーラーパネルにも感じる。
環境のためと言いながら、森を失っている。
便利さのためと言いながら、動物たちの居場所を少しずつ狭めていっている。
もちろん、人間も自然の中で暮らしている。
道路も必要。
林道も必要。
電気も必要。
だから、人が自然に手を加えることそのものを否定することはできない。
そもそも、否定する資格はないのかもしれない。
私たちは、自然を使わせてもらって生きているのだから。

でも、だからこそ思う。
私たちは「人間にとって便利か」という問いは何度も繰り返してきた。
けれど、「山にとってはどうなのだろう」という問いを、どれほど立ててきただろう。
その問いには、おそらく正解はない。
道路を造らなければ暮らせない人がいる。
林道がなければ守れない森林もある。
だから答えを一つに決めることはできない。
それでも、問いだけは失いたくない。
山は、人間のためだけにあるわけではない。
森は、人間が管理するためだけに存在しているわけでもない。
私たちは、そのことを忘れないようにしながら、山と関わっていくしかないのだと思う。
復旧した道路を走りながら見た山は、何も語らなかった。
だからこそ私は、山はどう思っているのだろう、と考え続けている。


