がまだせ、熊本!がまだせ、九州!
令和8年7月28日 熊本県を中心とした九州地方で最大震度7を観測する地震がありました。
時間が経つにつれ、被害の様子が次々と明らかになってきており、今も不安な時間を過ごしておられる方々のことを思うと胸が痛みます。
九州では、約10年前にも大きな地震がありました。
ようやく暮らしを取り戻し、「これから」という時に、再び大きな揺れに見舞われた方もおられるかもしれません。
いつも思うのです。
災害には、理由も順番もないのだと。
一生懸命に生きてきた人も、小さな子どもも、高齢の方も、おなじように被害を受けます。
その理不尽さを思うたびに、「なぜ」という言葉しか出てきません。
以前、大震災を経験された方々の手記を読んだことがあります。
その時、とても印象に残ったのが「自然が憎い」という言葉がほとんどなかったことでした。
もちろん悲しみや悔しさはある。それでも多くの人が「自然だから仕方ない」「自然には勝てない」と語られていました。
この感覚は、日本人特有のものなのだろうか、と考えることがあります。
日本は昔から、地震や台風、火山とともに暮らしてきた国です。
自然は恐ろしい存在である一方、豊な恵みも与えてくれます。
だから私たちは、自然を敵として見るのではなく、「そういうもの」として受け止める文化を育んできたのかもしれません。
一方で、被災された方々の言葉の中で、もう一つ心に残っているものがあります。
「助かった」
ではなく、
「助かってしまった」
という言葉です。
家族を失った人、友人を失った人、故郷を失った人がいる中で、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱く。
避難先で新しい生活を始めようとしても、「地元で頑張っている人がいるのに、自分達だけここで暮らしていていいのだろうか」と悩み、もどる決断をされた方の話もありました。
災害は、建物だけでなく、人の心にも深い傷を残します。
だからこそ、復興とは道路や家が元に戻ることだけでなく、その人がもう一度、心から笑える日常を取り戻すことなのだと思います。
自然は、人間の都合で姿を変えることはありません。
山も、海も、大地も、ただそこにあり続けます。
それでも私たちは、その自然の中で暮らし、恵みを受け、時には試されるような出来事にも出会います。
「試される」という表現は正しくないのかもしれません。
自然に意思はありません。
あるのは、人間にはどうすることもできない現実だけです。
それでも、その現実の中で支え合い、立ち上がろうとする人の姿に、私は人間の強さを感じます。
被災された皆様が、一日も早く安心して眠れる日常を取り戻せることを、心から願っています。
がまだせ、熊本!がまだせ、九州!


