節分
今日、2月2日は節分です。
例年より1日早くなるのは124年ぶりだそうです。
節分は季節を分けるという意味の雑節(ざつせつ)で、本来は各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日を指しています。
いまで言う『節分』は、そのうちの立春の前日だけが残ったものとされています。
立春の前日だけが節分として残ったのは、立春が旧暦の正月に近く、年の変わり目の意味合いが強いからと言われています。
*雑節・・・日本人の生活文化から生まれた日本独自の暦日。貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてある。長い間に培われてきた知恵と経験の集約とも言える。
今年はコロナ禍の影響で、恒例の豆まき行事が相次いで中止されたようです。
仕方ないことなのかもしれませんが、こんなご時世だからこそ、思い切り豆をまいて、厄を払いたいと願うのは私だけではないと思います😂
この豆まき行事ですが、これは中国の習俗が伝わったものだそうです。
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。
昔、鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っているそうで、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)が豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員で、というところも多いようです。家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。子供の頃、数え年の数しか豆を食べることができなくて、祖母や祖父が羨ましかったことを覚えています。そう伝えたら、祖母がこっそりと「こんなに食べられない」と自分の分の豆を分けてくれたことも思い出に残っています😂
豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。炒った豆は火を通していますから、二度と芽が出てくることはありません。
炒った豆を使うことで、鬼が二度と来ないように・・・という意味を込めたそうです。そしてその豆を人間が食べてしまうことで、鬼を退治したということだそうです。
京都に再発出されていた緊急事態宣言も1か月延長となりました。
感染者は少しずつ減ってきてはいるようですが...なかなか終わりが見えません。
と言うか、終わりは来るのでしょうか?
新型コロナウイルスの厄介なところは、このウイルスに感染しても多くの場合は症状が出ないこと、もしくは出たとしても咳や発熱などの軽症で終わる一方で、一部の患者、特に高齢者や糖尿病などの持病をお持ちの方には、同じウイルスが牙をむいて襲い掛かることにあると言われています。肺炎が急速に悪化し、人工呼吸が必要となると言われたら、やっぱり恐ろしいし、絶対かかりたくないし誰かにも移したくないとは思いますね💦
でもその反面で、経済が停滞して、閉店に追い込まれている店や、仕事を失ってしまう人を見ると、いくら今は我慢するときだと思っても、これでいいのだろうか・・・と考えてしまうことも事実です。
いろんな災害に何度見舞われても、その度に立ち上がり復興を遂げてきた日本・・・
このコロナという災害(人災という噂もありますが😂)は世界規模で起こっているわけではありますが、このコロナ禍も必ず乗り越えられると信じて、今できることを精一杯頑張りながら日々を過ごしていきたいと思います。